昔の女性がくつろぐ時

 父が家にいたころは、家では、本当にくつろぐことができなかった。父は、しょっちゅう、階段の下から二階の私の部屋に向かって声をかけるのだ。「啓子、おやつにしようよ!」とか、「啓子、ご飯にしようよ!」などと。年取った父には、食べることだけが楽しみだったので、仕方がないのだが、仕事の準備や、読書や、それに時々は、お昼寝もしていた私は、そのたびに、それらを中断しなければならなくなった。私が忙しい時には、ヘルパーさんに来てもらって、父の昼食の世話をしてもらっていたこともあるが、短い時間に限られていた。それに、調理はしてもらえないので、食事は、用意しておかなければいけなかった。
 隣に住んでいる弟夫婦が、とてもよく助けてくれたので、時々、仕事以外の外出もすることが出来たから、私は、大変、恵まれていた方だろう。でも、外出しているときは、息抜きができるけれど、家にいるときは、くつろげない、というのもつらい話だった。また、帰りが遅くなった時には、お風呂に入れなかった。お風呂場は、父の寝室のすぐ近くにあり、父は、ちょっとした物音で、すぐ眼を覚ますからだ。入りたい時に、お風呂に入れない生活とは、決して快適とは言えない。
父がいなくなって、本当にくつろげるようになったはずだが、意外にそうではない。くつろいでいるはずの時に、くつろいでいる、という実感がないのだ。家にいるときでも、時間を作れば、いつでもくつろげる、という状態になって、くつろぎたいという欲求が減ったせいだろうか?
 ところで、以前、向田邦子さんのエッセイで読んだのだが、向田さんが、時代劇ドラマの脚本を書いている時、のちに源頼朝の奥さんとなった北条政子は、くつろぐ時、いったいどんなことをしていたのだろう、というところで、はたと困ったそうだ。豪族の娘だったから、まさか、お昼寝はできなかっただろう。この時代、まだ茶道はなかったと思うし、華道はあったかもしれないが、お花を摘んできて、生けて、お花で一日をつぶしていたのだろうか?そういうことも考えられないではないが・・・。
この時代の女性の暮らしに関しては、あまり資料も残っていないらしく、向田さんは、本当に苦労したらしい。結局、北条政子には、しょっちゅう、髪をくしけずらせることになったようだ。
 江戸時代の女の人はどうだったのか?浮世絵などを見ると、江戸の町場の女性は、草双紙を読んで、暇をつぶすこともあっただろうと思われる。
 では、長屋のおかみさんたちは、どういうふうにして、くつろいだのか?近所の目があるので、お昼寝はできなかったのではないか、というのは素人考えで、昼寝もしたのだろうか?江戸時代の家事は、今とは比較にならないくらい、大変だったのではないか、と思われるから、一日中、家事をしていたのか?子供の世話も大変だっただろうし、亭主の稼ぎだけでは、やっていけない、というので、手内職などしていたかもしれないし、それでは、おかみさんたち同士集まっての井戸端会議が、なによりのくつろぎの場だったのだろうか?
時代小説やドラマでしか、江戸の長屋を知らない私には、はっきりとは分からない。もし、資料があるのなら、読んでみたいものだ。
(上記の、向田邦子さんのエッセイの入ったエッセイ集は、今、行方不明となっているため、チェックできません。上に書いたことの中に、もし、私の記憶違いがありましたら、ご容赦ください。)