花のような微笑

今までに二度、“花のような微笑”を見たことがある。最初の微笑は、ある尺八を愛するイギリス青年のものだ。尺八演奏家の方からナレーションを頼まれたご縁で、尺八愛好家の方たちのサロンに出入りするようになった。朗読することもある。そこに彼がいた。ロンドン近郊、サリー州の(彼曰く)スモールヴィレッジの出身とのこと。ジョン・レノンにちょっと似た感じの心優しい若者だ。
初対面の時、私は、サリー州に行ったことがあるので、おぼつかない英語で一生懸命対話した。次にサロンに行った時、彼は、すでに来ていて、ずっと離れた席に座っていた。私が声をかけ、手を振って挨拶すると、彼はにっこりほほ笑んだ。そのほほ笑みが・・・なんと言えばいいのだろう、花がぱっと開いたような、あたり一帯が明るくなるような微笑だったのだ。
昔イギリスに行った時、街を歩いていて、向こうから来る人と、ふと目があうと、暖かく優しい微笑を浮かべる人が何人もいた。思わず、こちらもほほ笑みを返した。心がぽっと暖かくなったものだ。イギリスは個人主義の国だと言われる。人と人との関係を、なめらかにするために、このような微笑が必要なのかもしれない。だとすると、本当にいい習慣だと思う。
尺八青年に話を戻すが、この人は、日本に来て、もう何年も経つのに、ちっとも日本語を勉強しようとしないと、よく日本人の尺八仲間からからかわれていた。ある時、私は、サロンの人たちの前で、私の愛するイギリスの女性作家、エリナー・ファージョンの童話の一部を朗読した。読み終わったとたん、「おもしろかった!」と、はずむような声、あのイギリス青年だった。しかも日本語で。この童話は、サリー州の隣のサセックス州が舞台になっていて、実在の地名などが出てくるせいもあるかもしれないが、彼の日本語が上達したので、日本語によって朗読された童話が理解できたのだと思う。私は、うれしかった。やっと日本語の勉強を始めたのだろう。これから、この青年の尺八も日本語も、どんどん上達していくことを願う。
二番目は、私の母の微笑だ。母は愛らしい人だった。美人だと言われていたが、綺麗なだけではなく、なんとも言えず可愛いのだ。男の人も女の人も、彼女の顔を見ると、自然に、にこにこしてしまう人が多かった。晩年、認知症になってからは、本当に穏やかになり、黙って、微笑みながら座っているので、多くの人に好かれた。
デイサービスに行った先で、運悪く、通路に置いてあった箱につまづいて転倒し、大腿骨を骨折して入院した。手術のあと、リハビリのためもあり、しばらく家に帰らず施設にいた。その施設での生活が長くなった。当たり前のことだが、母は、家に帰りたくて仕方がないようだった。
ある日、私が訪ねて行くと、遠くから私を認め、ほほ笑んだ。花が咲いたような、あたりがぱっと明るくなるような微笑だった。そして私が近づくと、「迎えに来てくれたんでしょ!」とはずんだ声で、子供のように言った。だが、母を連れては帰れなかった。
そのあとしばらくして、母は急病になり、入院した。病院に訪ねて行くと、母は、ベッドに横たわったまま、優しく暖かい微笑を浮かべて、私を迎えてくれた。
母は、3か月の闘病ののち、旅立った。時々、母の最高の微笑、施設でのあの“花のような微笑”を、胸の痛みと共に、思い出すことがある。