目に見えるようだ・・・

 近頃、瀬戸内寂聴のエッセイ「嵯峨野のみち」や、森茉莉のエッセイ「幼い日々」などを、朗読する機会が多い。
「嵯峨野みち」からは、「雪」や「花」などを読む。
「幼い日々」は、長いエッセイなので、その冒頭部分を読む。
いろいろなところで読むのだが、聴いてくださった方々は、みなさん、「目に見えるようです」とおっしゃる。
「嵯峨野・・・」の方は、嵯峨野の四季の描写で、「幼い日々」は、森茉莉さんが子供のころ(明治時代)に、父(森鴎外)や、母、弟たちと住んでいた千駄木での幸せな子供時代を描いたものだ。
聴き手は年配の方が多い。
若い方が、どういう感想を持たれるかはわからない。
しばらく、この路線で行ってみようかと思う。
耳なし芳一」や、「宮本武蔵」などを読む体力、気力がなくなってきた。
穏やかで、静かな文章を、淡々と読みたい。
そういえば、須賀敦子のエッセイを読んだ時も、目に見えるようだと言ってくださった方があった。