「紅葉と黄葉」から「明治のエキゾチシズム」まで

 青木玉さんのエッセイだったかと思うが、紅葉について書いたものがあった。その中に、紅葉と黄葉が出てくる。どちらも、「こうよう」と読む。アクセントも同じだ。黙読している分には問題ないのだが、声に出して読むと、区別がつかない。前後の文章を読んでもはっきりとは分からない。

 こういう文章を朗読会で読む時、どうするか?まず考えられるのは、朗読する文章をあらかじめコピーして聴き手の方たちに渡しておき、それを読みながら朗読を聴いてもらうという方法だ。以前、古代中国を舞台にした小説の朗読会に行った。朗読が始まる前に、小説に出てくる人名や地名の漢字に読みを付けたプリントが渡され、私たちは、それに目を通しながら、朗読を聴いた。中国の人名や地名は、耳で聴いただけでは、ピンとこないから、これはいい考えだと思った。

 それに関連して、森鴎外の滞欧時代の経験をもとにした作品を思い出した。そのうちの一つ「文(ふみ)づかい」を例に取り上げる。ドイツのザクセン軍団に派遣された日本の少年士官とドイツの姫君とのお話だ。典雅な語り口の文章のところどころ、日本語の漢字の横にドイツ語読みなどのルビが振ってある。( )内は、ルビ。

〇少女(おとめ)らが黒天鵞絨(ビロード)の胸当(ミイデル)
〇汁(ソップ)盛れる皿の上に
〇やわらかき椅子(いす)「ゾファ」などの脚
〇ここにて珈琲(カフェ)のもてなしあり

このような書き方は、異国情緒を醸し出す。ソファやコーヒーなどをもう知っている現代の私たちが読んでもエキゾチックだが、明治時代に、こういう文章を読んだ人たちは外国への憧れに胸を焦がしたことだろう。このような作品も、プリントしたものに目を通しながら朗読を聴かないと作品の魅力が今一つ伝わってこないのではないか。舞台での朗読だったら、スクリーンに文章を投影してもいいと思う。もうすでに実行されている方もあるかもしれない。