ある施設でのボランティアの思い出

    
 朗読の仕事を始める前、人に聴いてもらいたくて仕方がないので、ボランティアで老人ホームなどに行っていました。目星をつけたホームと自分で交渉していましたが、いろいろな施設から善意銀行を通じて、サラ文に依頼が来ることもありました。
 ある日、当時の大橋事務局長さんから電話が入りました。知的障害の女性たちの施設から、女の人に朗読に来てほしいというお話が来たのだそうです。知的障害と言っても、世間知は充分にある方たちなので、メルヘンチックな綺麗なお話などは受けない、そしてそれ以上はっきりしたことは言えないとのこと。私は不審に思いながらも、話を受けることにしました。
 当時は、田辺一鶴事務所に勤めていましたので、事務所を閉めてから出かけました。三鷹からバスで行ったように思います。夜、初めての場所へバスで行くのは不安なものです。その上、はっきりしたことが分からないので、どういう施設だろう、どういう人たちがいらっしゃるのだろう、また、私が用意した読み物で大丈夫だろうか?とあれこれ考えながらバスに揺られていました。
 到着して、職員の方からお話を聴きますと、ここは、昔、赤線地帯で働いていた女性たちが暮らしている所なのだそうです。知的障害の人たちが多く、売春防止法が施行されたあと、仕事に就けない人があったため、こういう施設が造られたようです。ドイツ(?)の修道会が経営しているようでした。職員の方たちの中には、シスターと思われる女性もいました。皆日本人らしいです。 私に与えられた時間は一時間、そのうち朗読は40分で、残りの時間は皆さんとお話するのだそうです。食堂に案内されますと、7〜80名位の女の方たちが待っていました。皆ある程度の年齢の方たちでした。私が読んだお話は、短いものばかりです。「心に残るとっておきの話」から選びました。
 そのうちの「ふるさと冬の思い出」というお話は、ある男性が雪国での子供時代の思い出を書かれたものです。その中に子供だった作者がお母さんの前で「戦友」を歌うシーンがありました。その出だし「ここはお国の何百里」を歌ったところ、聴き手の方たちが、一斉に声を合わせて、続きを歌い始められました。これには感動しました。歌の力を思い知りました。
 朗読のあと、皆さんとのお話の最後の方で、お一人の方が「先生教えていただきたいのですが・・・」と言って、前へ出てこられました。手には週刊誌を持っておられます。「これはどういう意味でしょうか?」星占いのコラムでした。私は、困ってしまいました。それなのに、口から、すらすらと言葉が出てきました。「それはね・・・」
 無事、朗読会が終わり、数日後に、あるシスターの方からお礼の手紙が届きました。文中に「あのようなユニークな質問に、すらすらと大変いいお返事をなさって、感心いたしました」と書いてありました。私自身は、どんなことを答えたのか、まったく記憶がありません。あの時は、神様が助けてくださったとしか考えられません。
 お手紙の最後には「もし、またお越しくださるようでしたら、今度は、ぜひ私の好きな本、海老名香葉子さんの「うしろの正面だあれ」を読んでいただきたいと思います」とリクエストがありました。でも、その後行くことはありませんでした。
 あれから長い月日が経ちました。入居者の方たちは、もう、高齢になられたでしょう。あの施設は、今もあるのでしょうか?折に触れて思い出します。なお、その施設の所在地は伏せておいた方がよいと思いますので、明記いたしません。