運動神経まるで駄目

 ゴルフだったらブービー賞かもしれない。小学生時代、運動会の徒競走では、いつも、ビリか、ビリから二番目だった。障害物競争で、二位になり、賞品にノートをもらったことがあるが、こういう番狂わせは一度だけだ。

 そんな私には、当然、運動会は楽しいものではなく、前夜には、もしそういうものがあるなら、雨ふらし坊主を窓辺につるしたいくらいだった。お昼の休みに家族全員で、筵の上に広げて食べる母の手作りのお弁当だけが楽しみだった。あの海苔巻の味は、母亡き今も覚えている。
 
 運動は得意ではなかった。鉄棒の逆上がりも、とうとう出来ないままに終わった。反射神経も鈍く、前から来た人や物をとっさによけることが出来ない。

 この頃、弟の自転車を借りて乗っていたら、川に落ちてしまったことがある。買ってもらったばかりの自転車の無残な姿を見て、弟はべそをかいたし、私は、川に落ちるときのショックで唇を噛み切り、熱をだして寝込んだ。それ以後、私は自転車に乗れなくなった。年頃になったが、家族全員の猛反対にあい、とうとう運転免許をとることはなかった。

  戸外での運動が嫌いなまま成長し、屋内での読書や書き物に没頭するようになり、天職と巡り合った。

 運動が大の苦手だった私も、昨年から体操教室に通い始め、長距離の散歩も始めた。老いを目前にして、運動の必要性を感じたからだ。体操教室に通い始めたことにより、地元の同級生(?)ができた。また、家の近所にある公園は、小川が流れ、雑木林や薄の原があり、四季折々の風景を楽しみながら散歩することができる。散歩のおかげだろう、コレステロール値が下がった。いいことずくめだ。

 若い頃に、運動の良さが分かったらよかったのに、と思うが、体を柔軟にするのも、筋力を強くするのも、年取っていても大丈夫だ、と指導員の先生はおっしゃる。体得するまでに時間がかかるかもしれないが、遅すぎるということはないそうだ。散歩するのには、お金がかからないし、体操教室の授業料も決して高くはない。本当にいい時代だと、ここまで来て思う。