活字の大きさ

 ルパンの「八点鐘」が好きでした。中学生時代、春休みに、縁側に座って読みふけりました。春先の風に、庭の枯れ柴が吹かれていたのを覚えています。以来、春が近づくと、この本を読み返していました。
 勤めていたころ、同僚に、いい恋愛小説だ、と話したところ、彼女も読んだそうですが、「どこが恋愛小説なの?」と不満顔でした。彼女は、恋愛小説にしては、おとなしすぎると思ったようです。
 それからも、たびたび読み返して、いいな、と思っていたのですが、ある時、この本がどこへ行ったのか分からなくなりました。しかたなく、書店に行って、探したところ、同じ会社で同じ訳者のを見つけ、大喜びで買いました。新潮文庫で、堀口大学の訳です。
 でも、読んでみて、がっかり。なにか違います。同じ訳者の同じ文章なのに、以前感じていたような深みがありません。軽い小説としか思えないのです。せっかく、懐かしいオルタンスやレニーヌ侯爵に再会できたのに・・・
 これは、私の中身が、年齢相応に変わったせいもあるのかもしれませんが、考えてみたところ、一番大きな原因は、新しい文庫本の活字が、昔より大きくなっているからではないかと思うのです。ほかの本でも経験しました。
 「ブラウン神父」、これはやはり文庫本ですが、昔、愛読した福田恒存訳ではなく、新訳です。そのせいもあるのでしょうが、大きくなった活字では、昔のような面白さが今一つでした。
 「レベッカ」もそうです。昔、大久保康雄訳で三笠書房から出た本を読んで、その張りつめたように繊細な文章に引き込まれたものですが、新しい訳で、しかも大きい活字で読んだところ、繊細さは今一つでした。
年取ってきましたから、活字が大きくなるのには賛成なのですが、う〜ん、でも、どうも・・・