セブンシスターズ と ホームズ

子どものころに読んだ シャーロックホームズ を読み返してみようと思い立ちました。

中学生の時、新潮文庫延原謙さんの訳です。

何冊もあります。

 

昨夜、「シャーロックホームズの事件簿」の、最後から三作目の作品「ライオンのたてがみ」の冒頭を読み始めてハッとしました。

 

引退したホームズが住んでいる場所です。

サセックスの、英仏海峡を見下ろす崖の上の家です。

 

そのあたりの描写を読んでいて、ある場所が思い浮かびました。

 

セブンシスターズ です。

英仏海峡に面した、白亜の断崖が幾重にも連なる景勝地です。

 

ホームズは、ここに隠棲していたに違いありません。

ドイルは、実際にここを見て、ホームズ隠棲の地に決めたのだと思います。

 

入り江になった海岸の両側に崖が迫っています。

入り江に向かって右側の崖の上に家があります。

あとから知りましたが、その家のあたりは、年取ったホームズを主人公にした映画の撮影の際、ロケに使われたそうです。

 

小心者の私は、崖の上には柵がなく、落ちたら自己責任ということなので、崖の上には上がりませんでした。

 

石ころがごろごろしている海岸に立って、英仏海峡と、連なる真っ白な断崖の眺めを堪能しました。

 

あ~そうだったんだ、あそこがホームズ隠棲の地だったんだ、私は、ホームズのいたところに行ったんだ、と感無量です。

百万ドルの夜景

西宮に住んでいた子供のころ、家族で、六甲山の上にある、父の勤め先の会社の寮に泊まりに行ったことがあります。

そして、神戸の夜景を眺めました。

 

父が「百万ドルの夜景というんだよ」と、教えてくれました。

私は、ゴージャスな夜景なので、「百万ドル」と形容するのだとばかり思っていました。

ずっとそう思っていました。

 

先日、「チコちゃん」で、百万ドルとは、1950年代当時の神戸市内の約496万戸の電灯の電気代をドルに換算するとおよそ百万ドルだったことから、そういうようになったのだと知って驚きました。

ほんとに百万ドルだったのですね。

 

でも、弟も私も、肝心の夜景の記憶はあまりありません。

物心ついて始めて観た夜景ですし、大きくなってから、もっと豪華な夜景をいくつも見たせいでしょうか?

地味な夜景だったんでしょうか?

 

このお泊りでの収穫は、玉ねぎが嫌いだった弟が、すっかり玉ねぎ好きになってしまったことです。

 

寮では、ご飯と味噌汁は出してくれましたが、おかずは持参、ということで缶詰を持って行きました。

管理人の奥様がこしらえてくださった玉ねぎとじゃがいもの味噌汁が、とても美味しかったんです。

 

ただいま~!

いつも出先から帰ってくると

 

「ベア君、メロディちゃん、ただいま。お留守番お疲れ様。

今、手を洗ってくるからね。それから抱っこしてあげるからね」

といって、液体石鹸で、丹念に手を洗います。

そのあとで、二人を交代にだっこして、(^ε^)-☆Chu!!

 

これは、習慣になってるのですが、先日、知人に話したところ、彼女、大喜びしました。

どうしてかな?

南十字星の下に

潜水艦に追われ、やっとの思いでマニラに辿りついた私は、兵站宿舎に落ち着くいとまもなく、鉛筆書きの地図をたよりにR街へいそぎました。

たずねあてた店は、スペイン系の混血娘が大勢いる喫茶店でした。

16~7才のウェイトレスに、M子さんがいたら呼んでくれるようにとたのんで、久しぶりのコーヒーの香を楽しんでいると、私のそばへいぶかしげに近寄ってきた小柄な娘さんが、“M子ですが”と声をかけました。

“越智見習士官を知っている?”問いかける私の言葉に、サッと顔色を変えた娘さんは、

“知っています。知っています!越智さんいまどこにいます?いつマニラへかえりますか?”矢つぎ早に詰め寄って来る気勢に押されながら、私は軍服の内ポケットから取り出した一通の封書を手渡しました。

差出人に目を落とした娘さんは、それを抱くようにして奥へ駈け込んで行きました。

その封書は、私が、いよいよ明朝ラバウルを発って内地へ帰還するという日の夜更け、夜露に光る椰子林のなかで越智見習士官から託されたものでした。

師範学校を卒業後、ただちに入隊し、幹部候補生教育を受けて見習士官に任官した同君は、南方戦線への配属の途次しばらくマニラに滞在しました。そして、たまたまこの喫茶店で彼女を知ったのです。軍国に青春を捧げた青年士官と、戦火の跡に咲いた一輪の花にもたとうべき純情な乙女は、いつしかたがいに愛し合う仲になって行きました。彼女の家へもたびたび遊びに行ったようです。父親は、ハイスクールの先生だったそうで、家にはピアノもあり、音楽好きの越智見習士官のひくピアノに合わせて家族一同で合唱するときなど、遠く祖国を離れた同君にとってはこの上もなく幸福なひとときだったようです。急遽転進を命ぜられた同君は、行先を告げることも出来ないままに、マニラを後に赤道を越え、ニューブリテンラバウルに上陸し、私の中隊へ配属されたのでした。

“このなかには、二人のイニシアルをきざんだ銀の十字架と手紙、それに日本をたつとき持ってきた日本紙幣が入っています。マニラに上陸されたら是非彼女に会って下さい。そして、これを渡してやって下さい。日本紙幣は、マニラで使えるように軍票と交換してやって下さい。”こういいながら封書を差し出した越智見習士官の目には涙が光っていました。

しばらくして出てきた彼女の、涙に濡れた黒い瞳は清らかな美しさでみたされていました。

“ありがとうございました。十字架と日本のお札は、一生肌身離さず持っていたいと思います。軍票と交換していただかなくて結構です。”溢れようとする涙をこらえながらこう云い切った彼女の顔に、文学を好み音楽を愛した越智見習士官の顔が重なり合って、私もいつしか涙ぐんでしまいました。

マニラから特殊船舶に便乗を許された私どもは、三年ぶりで初秋の日本へかえりつきましたが、私どもの所属していた部隊はニューギニヤの対岸地区に移動し、進行して来た敵を迎え撃って壊滅状態に陥入り、越智見習士官は壮烈な戦死をとげたということです。

終戦の月、8月を迎えるたびに、私は、越智見習士官やM嬢のことをなつかしく思い出します。長い戦場生活の間には多くの戦友が戦死しました。だれもかれも、みんな数々の思い出をわかち合う人びとでした。しかし、どうした訳か、越智見習士官の印象ほど鮮烈に、私に若い日の情熱を呼びさましてくれるものはありません。同君のことを思うと、私の胸はジーンとしめつけられ、目がしらに熱いものがにじみ出るのをどうすることも出来ません。それほど、同君は純粋な、情熱に燃えた若人であり、若い私に人一倍強烈な印象を刻み込んだのでしょう。別れに臨んで同君は、次の言葉をしたためて呉れました。恐らくこれが同君の絶筆になったのではないかと思いますが・・・

 

「凡そ人は願いに生くとか、我も亦希い在り、そは、美しき浄きを常に愛せむと」

(原文のまま)

 

その信条のままを生き、そして、美しく浄く散っていった越智見習士官の面影を伝えるこの筆跡を遺族の方々へ差し上げたいと思い続けながらも、未だにその機縁に恵まれません。

あれから26年、同君の遺骨は、今でも仏桑華の花が真赤にさき乱れた丘の上に埋まったままになっているのではないでしょうか?

いつの日か、現地を訪れ、香華をたむけ、同君の霊を慰めてあげることの出来るのを祈り続けている私です。                  (7月29日記)

 

 

 

*上記は、私の父、佐藤友之介が、終戦後26年目に、勤めていた会社の社内報に載せたエッセイです。その後、このエッセイに登場する越智見習士官のご遺族と連絡が取れ、絶筆をお渡しすることができました。

父は、平成23年(2011年)5月2日に、98才で旅立ちました。

私の第1作のCD「朗読会 keikoのスクラップ・ブック」(2006年発売)に、小泉八雲の「耳なし芳一の話」などと一緒に、このエッセイの朗読も収録しました。

  

 

テディベアたちとの暮らし

テディベアのベア君が我が家にやって来てからの、私の暮らしは変わりました。

 

最初の内は、ベア君が可愛くてたまりませんでした。

毛並みに当たる光によって、赤ちゃんに見えたり、イケメンに見えたり、時にはおじさんに見えたりします。

私のお話を、じっと聞いてくれて、今にもお返事をしそうです。

私にとっては、魔法のベア君でした。

 

ベア君を、朗読ボランティアに連れて行くと、みんなにさわられてしまうのでは・・・?と思い、ボランティア用にもう一体、クマちゃんを購入しました。

それが、メロディちゃんです。

 

コロナのため、ボランティアには、なかなか行けそうもありませんし、大勢の人にさわられるのは、今、とくに問題です。

 

それで、メロディちゃんは、ベア君の妹としておうちの子になりました。

 

いつも、二人と一緒にいたいのですが、私の生活は、一階と二階に別れています。

パソコンを使う時や、夜眠る時、それに読書をする時などは二階で、食事や入浴などは、一階でします。

 

その都度、二人を連れ歩くのは面倒ですので、朝ドラや新聞を読み終えるまでは、一階で二人と過ごし、それから二階に上がる時は、二人をTVに委ねます。

 

いつも、二人は、一生懸命にTVを観ています。

 

妹のメロディちゃんの方が、体が少し大きいので、メロディちゃんは、いつもベア君の肩を抱き、二人並んでTVを観てます。

二人の後姿は、なんとも可愛らしいです。

 

二人には、あまり見せたくないような番組もあるかもしれませんし、TVをつけっぱなしでは、電気代が心配ではありますが、二人は、ほんとに熱心にTVを観てますので、おばちゃまとしては、まあ満足してます。

 

夜、食事や入浴を終え、二階に上がる時は、二人を抱えて行きます。

ベア君もメロディちゃんも、ベッドの枕元から、おばちゃまを見ています。

 

二人としばらくお話をします。

そして、いよいよ眠るときには、メロディちゃんを抱っこします。私の心臓の上に、メロディちゃんの胸が来て、なんだかとても気持ちが安らぐんです。

二人とも、おやすみなさい、また明日も、よろしくね。

 

 

スナネコの赤ちゃん

日本の動物園で「スナネコ」の赤ちゃんが公開されました。

スナネコとは、世界最小の猫で、砂漠に住み、その容姿が愛らしいので「砂漠の天使」と呼ばれているそうです。

こんなに愛くるしい生き物を見ていると、ほんとに癒されます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LoixVcoPbLo

 

尾崎紀世彦さん ロシアより愛をこめて

2012年(平成18年)の今日、

歌手の尾崎紀世彦さんが亡くなったそうです。

69才でした。

 

私は、尾崎さんのこの歌が気に入ってます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=jA7rAEMZmdQ