春の淡雪 美酒 足に合った靴

三題噺みたいですが、三つのお話に関連性はありません。
以前、テキストとして取り上げた作品の一部です。
それぞれ、魅力的な文章だと思いますので、皆様に読んでいただけたらと思います。

〇春の淡雪
(私の)祖母はことさら顕彰されるべき存在ではない。ただただこの世にひととき舞い降り、やがて跡形もなく消えていった、春の淡雪のような庶民の一人である。
田辺聖子作 「過ぎた小さなことども」より

〇美酒
「そうか。こいつぁおれの遠い親戚にあたる蔵元が作ってる酒なんだ。浦錦といってね。油みたいにとろりとしているが、のどを通るときには水みたいにさらりとしているだろう。加えて匂いがいい。一町先まで匂う。おれは下り物にだってそうそうないいい酒だと思ってるんだ。(以下略)
小林恭二作 「六郎」より

〇足に合った靴
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、自分の足にぴったりな靴をもたなかったせいなのだ、と。
須賀敦子作「ユルスナールの靴」 プロローグ より