”八百比丘尼”、そして”ポーの一族”の哀しみ

 大道芸の研究をしている知人が書いた本を読んでいますと、八百比丘尼(やおびくに)のことが出てきました。
八百比丘尼とは、ご存知のように、人魚の肉を食べたために八百年生きたという伝説上の女性です。
若いころに、食べたのでしょう、彼女は、若い姿形のまま、八百年を生きました。
何度も結婚しますが、夫にはみな、先立たれます。
(当然のことではありますが)
その悲哀は、深かったことと思います。
萩尾望都のコミック「ポーの一族」の主人公、エドガーたち、バンパネラ(パンパイア)も、永遠に齢を取りません。
いつまでも、バンパネラになった時の年齢のままです。
孤独に耐えられず、彼らは、人間の友人や恋人を、仲間に加えます。
そして、彼ら一族の悲哀は、彼らを憎む人間たちの手によって、殺されるまで、消えることはありません。
ピーターパンの作者、ジェームズ・バリも、彼の創造した、ピーターパンと同じく、永遠の少年だったそうです。
親しくなるのは、子供たちだけで、子供たちは、成長すると、バリのもとを去っていきました。
この永遠の若さを持つ人たちの哀しみが、私にも、分かるような気がします。
若い心を持った人間には、この世は生きにくいように思えます。
理解者も少なく、ともに歩んでくれる人は、いません。
みな、先に行ってしまいます。
萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」(原作は光瀬龍)の、ラストで、主人公の阿修羅は、一人になります。
荒涼とした風の吹く、宇宙のはてに、一人、残された阿修羅の気持ちが分かるような気がします。