"カーペンターズ”が流行っていた頃

 ”カーペンターズ”が、リバイバルで流行っていた頃、私は、ある小さな会社に勤めていました。
JR中央線の、とある駅近くの会社です。
私一人が事務で、あと4人が営業でした。
営業は、20代と30代の男性が3人、30代の女性が一人です。
私は、もう、ミドルだったのですが、営業の若者たちは、少しも分け隔てなく、付き合ってくれました。
勤務時間が長く、休日が少ない会社でした。
その上、社長は、私たち社員を、勤務時間中は、片時も休ませてくれません。
営業の人たちは、「僕たちは、外で、適当に休んでいるから、いいけど、〇〇さんがかわいそうだ。」と言い、「社長には、お使いに行ってもらったと言っておくから、少し休んでおいで。」などと、時々、私を外に出してくれました。
そこで、私は、天気のいい日には、近くの公園で、息抜きをしました。
みんな、よく、飲み会やカラオケに誘ってくれました。
カラオケに行くと、私は、十八番のフランク・シナトラの「夜のストレンジャー」を歌いました。
「一緒に歌おうよ」と誘われた歌は、「アンチェインド・メロディー」でした。
映画「ゴースト ニューヨークの幻」のテーマとして使われた曲で、もともとは、古い曲なのだそうです。
その歌は、私のレパートリに入っていませんでしたので、残念ですが、デュエットできませんでした。
”Yesterday Once More"なども、皆でよく歌いました。
社長が、ちょっと困った人でしたので、余計、私たちは、仲が良かったのでしょう。
勤務時間の長さに不審を感じた私は、労働基準監督署に電話で聞き合わせ、会社の勤務時間が、労働基準法に違反していると分かりました。
けれど、勤務中に、なかなか抜け出せないため、社内の電話を使っていましたので、社長に立ち聞きされ、辞めさせられることになりました。
同僚たちは、心のこもった送別会を開いて、私を送り出してくれました。
それから数年後、街で、ばったり、当時の同僚の一人と会いました。
その人の話によると、当時の同僚は、その人も含めて、もう、誰も、会社にはいない、ということでした。
創設されて、かなり経つのに、長く続く社員は、一人もいない会社でした。
今でも、その人たちの顔と名前をはっきり覚えています。
本当の意味で、”仲間”と呼べる人たちでした。