黒岩涙香の本

 

東京に出て来て、初めて神田の錦華公園で行われていた青空古本市に行き、そこで、黒岩涙香の「有罪無罪」という古そうな本を見つけました。大正に出版されたようです。

学生の私にも手の届く値段でしたので、買い求めました。

あとで調べたところ、涙香は、大活躍した翻案の大家で、あの「嗚呼無情(レ・ミゼラブル)」や「巌窟王モンテクリスト伯)」などをはじめ、欧米の数々のミステリや家庭小説などを訳し、大衆に愛された文筆家のようでした。

(いわゆる赤新聞、「万朝報」のことなどは、あとで知りました。)

いかにも古めかしい文章でしたが、なにか調子よく読めて、面白く思えました。

 

当時、父方のおじが、定年退職後に、病身となり、三鷹に住んでいました。

其処へ遊びに行った時、涙香の本を見せると、読んでくれと言います。

それで、最初の方を少しだけ声に出して読みました。

おじは、「これから、時々、ここに来て、続きを読んで聞かせてほしい」といいます。

頼まれるまま、時々、おじのところに通うようになりました。

あとで、おばから聞いたところでは、おじは、私が帰った後「あの子は偉くなるよ」といっていたそうです。

えらくはなりませんでしたが、ず~っとあとで、朗読を生業とするようにはなりました。

 

こういった古い文章を読むのは、得意でした。

あとで、一鶴師匠のところにいた時、何人もの方から、講談の世界に入ったらいい、と勧められたのは、そういう文章が調子よく読めたからでもあるようです。

 

当時は、涙香の本は、高くはありませんでしたから、少し買い集めました。

今でも、本棚にあります。

終活の時、どうしようかな、と思います。

 

朗読すると、お年寄りの聴き手は喜ばれますし、私も調子よく読めるので、気持ちがよくはありますが、私、実は男性的な文章は、あまり好きではないのです。

古めかしい文章でも、「即興詩人」のようなものなら好きですけれど。

 

でも、またボランティアができるようになったら、どこかの施設で、涙香の本も、少し読んでみようかな?と思います。

でも、今のお年寄りたち、悦ばれるでしょうか?

 

おじに本を朗読してあげていたころは、意識していませんでしたが、後になって朗読の道に進んだ原点は、ここかもしれないです。